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 霊場について

■霊場資料 名古屋市港区誌より
■正保四年(1647)藩営で始められた熱田新田の干拓は、
 慶安二年(1649)に完了した。
 尾張藩初代藩主義直が領地を広げる目的で
 堀川と庄内川にはさまれる約5Kmの海岸を埋め立て
 熱田新田とされた。
 慶安四年に縄入れ(検地)が行われ同時に一番割から三十三番割
 までに区画され、
 各番割には西国三十三所の観音像が勧請され、
 その土地の守護仏として観音堂にまつった。

 この開発工事中、中川の河口(中川運河、須成町あたり)の
 せき止め工事ができず、工事に従事していた技術者の鬼頭景義が
 困っていると、ある夜枕元に観世音菩薩が立たれ、
 ○日○刻ごろ、河口のくいに白い鳥が止まるので
 その時にせき止めをせよとのお告げがあり、
 お告げに従ったら止める事が出来たと言われる。
 約三百ヘクタールの細長い熱田新田を
 一番割から三十三番割までに区画し、信仰の厚い
 鬼頭景義が私財で各番割に西国三十三ヶ所の観音像を配した。

■昭和三五年十月の町名変更されるまでは、「何々番割」と
 番割の住所が使われていた

■霊場名

■1番札所の石柱には「西国新田」と書いてあります。
 2番札所には「熱田新田西国」、14番には「番割観音霊場」
 20番も「番割観音」21番も、同じ板で「番割観音」の案内板があった。
 色々と表記はあるが、やはり「番割観音」の名でいいと思われる。

■歴史と創霊

■1650年前後

■埋め立て地
 以前は海だった場所を埋め立て整地し、西国観音の写し霊場とし
 1つ1つのエリア【番割】に西国本尊と同じ石像を祀った。
 守護仏と目印の役目を果たしていたと思う。

■下記写真は、各札所にあった説明書を撮ってみた

【二十番割観音堂】
 二十番割観音は、熱田新田干拓後、土地の守護神として祭った。
 一体のみを祭っている所は他に五か所ある。


【二十一・二十二・二十三番割観音堂】
 熱田新田の干拓は、慶安二年(1649)に完了し、慶安四年(1651)に
 縄いれ(検地)が行われた。
 土地を一番割から三十三番割に区割りし、各番割に西国三十三か所
 観音に擬した観音を配置し、その土地の守護仏とした。
 堂内には、弘法大師(真言宗の開祖者)と観世音菩薩(阿弥陀如来の
 脇持)が祭られている。


【二十六・二十七・二十八番割観音堂】
 上記と同じ内容が書かれ、今でも毎月第三日曜日には、善男善女の
 一団が、観音溝のけさをかけ巡礼する姿を見ることができる。


【百曲街道 二十九・三十・三十一・三十二・三十三番割観音堂】
 百曲街道の説明は省略
 番割観音は、西国三十三か所に擬し、二十九番割は青葉山松尾寺・
 三十番割は竹生島宝巌寺・三十一番割は長命寺・三十二番割は
 観音正寺・三十三番割は谷汲山華巌寺の影響を受けている。
 堂内には、観世音菩薩・釈迦如来を祭っている。

■現状

■「今でも毎月第三日曜日になると、善男善女の一団が、観音溝の
  袈裟をかけて巡礼する姿を見ることができる」との書き込みを
  見つけた。

  今度、第三日曜日にでも参加してみたい気もするが、ご縁があれば
  ということにしておこうと思います。
  地元の方が守られているお堂には、花が絶やさず飾られているが
  戸は固く閉まり、堂中を覗くことすら叶わないと感じます。
  もちろん、お堂ですから人気もない所です。

■巡礼してみると…
 新しい花がいけられ、人が管理している事がわかる。
 南京錠が数カ所の札所でかけられていて入れなくなっているが、
 数カ所は中まで入れる札所もある。

 お寺が管理している札所も二ヶ所ほどあるが、ピンポンして
 お願いすれば中まで入れると思われる。

 三十三ヶ所と言っても時代の流れ(道路拡張とか移転)で札所が
 一ヶ所に集められたりして、全部で18ヶ所となっている。

 そもそものスタートが土地の守護仏となっているため、巡礼は出来るが
 納経とかは難しいと思われる。

■巡礼の諸注意

■歩きや自転車がおすすめ
 札所前の道は細く、国道1号線付近は車量が多く、しかも一方通行
 だらけ…。
 車での巡礼も可能だが、車を停める場所で苦労すると思われる。
 総距離もそんなに長くはないと思われるので、歩きや自転車での
 巡礼をおすすめしたい。
 歩きでも1日あれば巡礼できる距離だと思われる。



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