■最初は… |
■賢聖院
大府七福神の1つである賢聖院に参拝したとき、観音堂に1つの
額が飾ってあった。
その額には「百観音札所 明治二十八年」と書かれ、百ヶ寺と奥の院
として大須観音が連番で書かれてあった。
少し気になり、額全体を写真に撮り、リストを作り上げてみた。
しかし、住所表記が今とは異なり全部を調べ上げるのには苦労した。
更に、下記に記した「証言」でもわかる様に忘れられている霊場に
なっている事もわかりました。
更に、その後南知多の天龍寺で札所案内木札を見つけて
霊場としての存在を確認する。
知多百観音ページの扉写真を参照
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■歴史と創霊 |
■勝戦観音霊場
「日露戦争」で勝った時に作られた霊場だから、別名「戦勝霊場」とも
呼ばれていたらしい。
日露戦争と言えば、1904年〜1905年(明治37〜38年)だが、
額には明治28年と書いてある感じがする。
きっと何かの勘違いか見間違いかと思われる。
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■証言 |
■賢聖院さんで聞いた
「お寺さん自体は今でも全部あるが、知らないと言われるお寺さんも
多いと思いますよ。代も代わってしまって忘れられていると思いますよ。
納経帳とか印もないし、資料も全然ないから…。
でも、一部のお寺では知っている人もいると思う」
賢聖院さんには額が飾ってあるので、存在は知っていると言われ、
他寺が知らないと言われる事も知っているようでした。
■ある寺院
「私は30年くらい、ここにいるけど百観音を巡礼しているって人に
会ったこともないし、そんなのがあるの?納経帳もあるの?」と
逆に聞かれてしまいました。
■ある寺院
「うちにも札番があるの?」
と、どこの寺院が何番なのかと前後が少し気になるようでした。
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■巡礼の諸注意 |
■札所
93番大里の日勝寺は現在なく、観音像は92番の常蓮寺にある
■納経帳
納経帳もなく、資料もないので、納経してもらいいと思えば白紙の
納経帳を利用する。
白紙にすると墨書きしてくれる方が、常時納経所に居られる保証がなく
少し心配だと思う。
■このページは記録として掲載しているぐらいに思っていただきたい。
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