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 霊場


 今から300年以上前に開創し、現在は寺々に霊場の札番が掲げられ
 ているくらいの霊場です。
 霊場専用の納経帳もなく、豊橋に巡られる方々がおられる程度と
 聞きました。

 三河の観音霊場として新たに「三河三十三観音」が再興されましたが
 それ以前にあった三河の観音霊場です。
 ほとんど記録として残す様なページになってしまったのかと思います。

■霊場のしるし

▲9番清海寺入り口にある「西国三十三所観音」


▲18番実相寺の幟には「三河国十八番札所」の文字


▲32番水音寺前に「三河国三十三所観音順礼」の記述あり


▲昭和13年に書かれた札所名簿

▲11番慈恩寺前に建つ石碑

▲23番真如寺に
「三河三十三観音」と書かれている

▲「第三十二番観善山水音寺」

▲「本三河三十三観音霊場会」
 豊橋の方が幟を作られ
 各札所に奉納されている
▲12番利生院 三河三十三観音の16番であり、三河西国観音を
 三河の俗称「穂の国」で表現している
■霊場

 江戸時代の寛文年間(1661〜73)に開創とあるので、今から約350年
 ほど前になる。
 今でもなんとか巡られる霊場としては愛知県で一番古い霊場で
 総距離数も一番ではないかと思われる
 三河三十三観音は昭和に開創され、約50年ほど前となる

 三河は東三河と西三河に分けられるが、札所も東三河に集中しており
 豊橋・豊川あたりの方々が最初に始められたと伝え聞いた

 霊場の歴史もあるので、札所の方も名刹・古刹の寺が多く
 現在の三河観音とは違った趣があると思う

■霊場名

 ■三河三十三観音【昭和32年開創】
 
  三河の観音霊場と言えば、この【別ページ】霊場をさす
  何度も何度も時代の流れで作り直された

 ■三河西国三十三観音【寛文年間開創/江戸時代】

  便宜上「三河西国」と表記しているが、時代とともに霊場名が変化
  している
  時代の順番までは定かではないが、江戸時代からある霊場なので
  何回も作り直されたのだと思う。
  わかっているだけでは、、

  「参河國三十三観音」
  「参河國三十三地番」
  「三河國三十三ヶ所
  「三河三十三観音」
  「三河三十三ヶ所」
  「当國三十三ヶ所」   などがある。

  昭和に作られた観音霊場と区別するために「本三河三十三観音」と
  呼ばれる場合もあります。
  後に、三河に板東、秩父と作られ百観音霊場を作られたので
  この霊場に「西国」の名をつけた

  当然の様に長い年月の中で札所の入れ替えもあったが
  ほぼ、このページで紹介している札所で問題ないと思う。



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