■開基
呼続の浜辺に流れ着いた霊木が夜な夜な不思議な光を放ち、人々は
それを見て恐れをなした。近くに住んでいた僧・善光上人は夢のお告げ
を受け、その霊木を彫って十一面観世音菩薩の像を作った
上人は寺を建て、そこに観音像をおさめ、その名を「天林山小松寺」と
名付けた。天平八年(736)のことである。 |
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■玉照姫と観音様
その後、約二百年の歳月が流れ、
小松寺は荒廃、お堂は崩壊し、
観音様は風雨にさらされるように
なってしまった
ここに一人の美しい娘がいた。
彼女は鳴海長者・太郎成高の家
に仕えており、その器量を妬まれ
てか、雨の日も風の日も |
ひどくこき使われる日々を送っていた。
ある雨の日、ずぶ濡れになっていた観音様の姿を見た彼女は、気の毒
に感じ、自分がかぶっていた笠をはずして、その観音様にかぶせたの
であった。
その縁か後日、関白・藤原基経公の息子、中将・藤原兼平公が下向の
おり、長者の家に泊まった際にその娘をみそめ、自分の妻として迎え
ようと決心した。
兼平公の妻となった娘は、それから「玉照姫」と呼ばれることとなった。
この観音様の縁によって結ばれた玉照姫・兼平公ご夫妻は、延長八年
(930)、この地に大いなる寺を建て、姫が笠をかぶせた観音様を安置
した。このとき寺号も小松寺から「笠覆寺」に改めた。
これが「笠寺観音」「笠寺」の名の由来である −案内板より
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■天平八年(736)奈良時代
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