■資料案内 |
「「海部津島の郷土の歴史を考える会」が発行された「アマツシマの
アルキカタ」を資料とした。
「原典も明治19年刊行の案内帳をベースにしている。」
この霊場を巡拝すると、往時の海東郡をくまなく散策する古寺巡礼する
ことが出来る。
有名な知多八十八ケ所霊場が開山されてより約80年遅れて開山
されたと言う。
今では この霊場の存在をを知る人は皆無だろう。
開山当時の版木の協力者も存命の方が無く、詳しい事情は、
全く分かりませんが 故人の行脚された足跡を尋ねるのも古に接する
良き機会と思います。門前の石柱に刻まれた札所番号案内を
目にすると、異常に懐かしく往時の巡礼者にお会いしたような気に
な.ります。
地元のクローバーTVでも、津島の町の歩き方と題して放送されて
います」
−大鹿哲穏 の ホームページより
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■資料解説 |
知多四国の開山が文化六年(1809)と言われているので、
その約80年後ということは、1900年頃と考えると
明治末期(明治:1868〜1912)かと思われる。
ここでは1900年の明治三三年に開創したとすると、今から100年強の
歴史があることになる。
しかし、不思議に思うことは「たかだか100年」と考えるべきか
どうかは別として、廃寺が7ヶ寺、さっとわからない不明寺が20ヶ寺は
いささか多いのではと感じる。
廃寺は別として、不明の20ヶ寺は探していけば、もう少し判明すると
思うので調べてみたいと思う。
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