重原の三井戸
重原に・乞井戸・佐次兵衛井戸・
慕井戸と呼ばれる3つの井戸がある
弘法大師が重原に訪れた時、
飲み水に困っている村人のために、
祈って杖で土地に穴をあけると
清水がこんこんとわき出たという
伝説がある。 |
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ここの井戸は佐次兵衛井戸で、乞井戸は重原本町、慕井戸は一色町に
ある。各井戸に弘法像があったが、現在は浄福寺山門前の
三ツ井戸弘法堂に祀られている。
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重原弘法大師三つ井戸縁起
そもそも当地に遺る三つ井戸の
由来を案ずるに、人皇五十二代
嵯峨天皇の御宇、弘仁十三年六月
大師四十九歳の御時、
勅命により富士権現へご参詣の
帰途、重原の里へ巡錫あらせら
れし折、しきりに渇をおぼえて、
とある家にお立寄りあらせられ、水を請わせ給いける。 |
老翁即ち家の裏手に行き、しばらくして冷水を汲みて奉りしに、
大師こはよき水なりとご賞美あらせられ、尚問い給うに、今汝の水を汲み
来る事の餘りに遅かりしは何故にやと仰せらる。
老翁答えて当地は土地高きが故に井戸深く、縄釣瓶によりて汲むより
外せん方なければ、甚だ手間のかかりてかつ難儀の由申し上げたり。
大師は、そは定めて困ることならむ、我汝によき水を近くに得させんと、
家の前のやや低き所におり立ち、しばし瞑目して加持し給い、
杖にて大地に穴を穿ち給うに、忽ち玉の如き清水滾々として流れ出で
にけり。
老翁隋喜の涙にむせび永くご留錫を請い奉りしに、三七日の間お留り
あらせられ、その折尚里人の請いにまかせ、外に二つの井戸を
お授けあらせらる。口碑に遺る乞井戸、佐治兵衛井戸、慕井戸
即ちこれなり。
その後、星移り年変わるにつれて人家も多くなり、水を汲む術も講ぜら
るるに至りしより、各戸毎に井戸を設けしため、大師の井戸はただ徒に
荊棘の覆うところとなれり。
今回かかる由緒あるご遺跡の廃滅に近き有様を嘆き、その地を清浄に
して尚小宇を建立して大師の尊像を安置し、永くその御徳を伝え
奉らんとす。
希はくば十方有縁の輩よ、大師の霊場に詣りこの霊水によりて心垢を
洗滌せられんことを。
三河国 重原弘法大師三井佐次兵衛井戸 執事 |