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■札所
完全な「四国八十八ヶ所」の写し霊場で、右上写真、弘法像の横壁に
札所名が書いてある。1番札所「霊山寺」は「みち」のどこにあるのか
確認はできなかったが、レンガ御堂の中の御堂を少し回してみたら
寺名が確認できた。
富士山弘法のあたりは札番でも最期の方がある感じになる。
御堂の外観からは札番はわからないが、島の方々は知っている人が
いる感じになるのか…。
御堂の構成は、素焼きの弘法像を瓦と同じ材質の御堂に安置し
更にレンガで御堂を作る形が基本形らしい
弘法像が肌色のままの素焼きも数体見たが、彩色してある物が多く
素焼き弘法像に彩色するのが基本形だと思われる
更に瓦材で作った御堂も基本形で、ほとんどの御堂で確認できる
レンガ御堂が基本だと書いたが、御堂の形も色々になっていた
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▲少数の全コンクリート製 |

▲全レンガ製 |

▲上部だけコンクリート製 |

▲唯一「六十二番」と読めた御堂 |
■札所を「守り(もり)」する
1つ1つの御堂を誰が管理しているのかが決まっている
島の老人に話を伺うと「私はどこどこにある弘法さんを守りしている」と
話される。
札所を廻っていると、守りされているのか、されていないのかは
見ていてわかると思う
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▲前面にネットが貼られる |

▲花が枯れていない |

▲御堂全部に網をかぶせる |

▲供花が新しい |

▲弘法像がなくなっている |

▲御堂が壊れてしまった |
■旧暦21日
1年に1回だけ御祥当命日(旧暦3月21日)に、島人はお祭りを行い
弘法堂に供え物をし、参拝者に振る舞いをすると言う
ここでも八十八ヶ所と言う感覚ではなく、我が家の御堂を守り
お供え物をする感じになる
よって個人差が大きく、霊場としての機能はなくなっていると思う
■弘法像だけない御堂
離島する時やお守りできなくなった家は、お寺に弘法像だけを預ける
島人もいるらしい
その多くが東港に近い阿弥陀寺に預ける
弘法像を預けた堂主は、御祥当命日に阿弥陀寺に集まり合同で
お祭りをされるみたいだ
阿弥陀寺に行ってみたのだが、それらしい場所はわからなかった
御祥当命日にだけ行われるので、当日行かないとわからないのでしょう
■佐久島八十八ヶ所
御堂自体の場所はわかりやすいが、壊れていたりするので
八十八ヶ所全部揃っているかどうかは、今となってはわからない
ただ、四国霊場の寺名が書いてある所を見ると確実に八十八ヶ所は
あったと思われる。
三河地方に多い、弘法像と本尊象が同じ石の上に乗り1つの札所に
する霊場、同じ島弘法である篠島八十八ヶ所の御堂の形と似ているが
篠島の弘法像は石像であるのに対し、佐久島は素焼き弘法像である
今となっては霊場として廻ることはできなくなってしまったが
歴史の中にいる感じはある
下記に島人の老人に聞いた話を箇条書きにしてみるので
その中から思いが伝わればいいと思う
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■つとめ
上写真の御堂は80歳を越えたお婆さんの御堂です
御堂を直そうと思ってもお金がかかる
弘法さんの屋根がなくなったら大変だからテレビの枠を利用して
御堂にしている。お婆さんのお母さんから御堂を頼まれたので
ずっと守りされているそうです。
■山の上
だんだんと年寄りになってきたら、お花を替えたり、掃除をしたりと
山の上にある御堂に、なかかなか行けなくなったしまった
■私は…
家の御堂は近いから、よくお守りできるけど、山の上にある御堂は
みんな行かなくなった
どうしているかと私も、あまり上に見に行ったことはないけど
■島の人口
昔は島内で結婚もでき、他から島に入ってこなくてもよかった
野菜もたくさん出来、市場に出荷していたくらいだから
それだけ若者も多かった
でも、最近は年寄りばっかりで、人口も300人くらいだ
■男も女も
私が嫁に来て30年くらいになるけど、義母や義父は一生懸命
弘法さんをお拝んどった
その頃は御堂も全部守りされ、御祥当命日は盛大だった
今では私も家の御堂に行けなくなったし、坂の上だから行くのも大変
■やっぱりレンガ
御堂はやっぱりレンガ作りがいいでしょう
でも、レンガで屋根部分を作るのは大変なんだよ
お金も相当にかかるからね 自分たちで直すのも無理なんだけど
少しくらい壊れただけならコンクリートで穴を埋めたりして直すよ
弘法さんに雨があたるとかわいそうでしょう
だから壊れてしまった御堂から弘法さんを出して、お寺に預ける人も
います
■東は少なくなった
3つの弘法道の中で、弘法さんがいなくなり始めたのは、やっぱり
山にある弘法さん
道は人が歩けば残っていくが、歩かなくなったり整備しなかったら
すぐに竹や草がはびこってくる
■御祥当命日
御堂を掃除して、お供え物をして、お下がりをみんなに分けたいけど
山の上にある御堂はカラスが狙ってくる
カラスがつっつくとお供え物は全部だめになって捨てるしかなくなる
本当は弘法さんと人間にあげたいんだが…
■御祥当命日
当日はお下がりのお菓子がもらえたり、御堂をまわる人もいる
命日だからと朝から私らがお寿司作ったり、ぼた餅作ったりするしな
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■思い
佐久島に島弘法があると知り、出かけてみたが
壊れた御堂を数多く見ていたら、霊場としての役目は終わったと
感じました
人口の減少、老齢化の問題はあるにしろ、1つ1つの御堂を守り
しているのは個人の力が大きいと感じます
その個人の力でさえ年齢的にも限界があるでしょう
後継者なんて全然ないし、御堂に行きたくても足腰が弱れば
全然行けなくなってしまい、行かないからか、
どんどんと荒れてしまうのは必然的な流れだと感じました。
「ただ、草ぼうぼうの道でも御祥当命日が近づくと、
みんなで道を直します、みんなでやれば、すぐ出来ることなんです
でも、みんな歳とったからなぁ」と話されていました
弘法大師信仰は老人を中心に一人一人の心の中にあると思うし
また現実として御堂は何割かの数でお守りされています。
今度は御祥当命日に佐久島を一度でいいから訪れてみたいと
思いました。
きっと今より良くなっている可能性は低いが、「昔は〜」「昔は〜」と
後で聞かされるより、その時を経験した方がいいと感じました
今年の今日歴3月21日って、何月何日だったのかなぁ
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