■へんろみち保存協力会
縁の下の力持ちとでも言いましょうか?この団体なくして今の遍路道は存在
しないのではとも思います。
本にも書いてある通りなんですが、本の売り上げ収益金が道への投資に
使われたりしていると聞けば、本がどんどんと売れてくれればいいなぁと
思います。
昭和の話なんでしょうが、戦後すぐに遍路をした方に話を聞いたことがありますが
昔は案内も何もなかったので、お寺までほとんど真っ直ぐ歩いていき
山に登ってお寺に行くって感じだと話されていました。
へんろみち保存協力会の方々が必ず歩く道と言うのがあり、88番さん付近では
女体山越えをして大窪寺に入り、一番の霊山寺へは大坂越えをするそうです
この女体山越えも、協力会の方々が決めたことで昔からあった遍路道では
ないですよと教えていただきました。
そかそかと話を聞きながら、遍路道って楽しいよねって感じで歩ける自分が
楽しくて仕方がありません。
多くの方に支えられている遍路道。私もその一員となって道を踏み固めて
通れることをうれしく思います。
でも、遍路道で転んだこと何回もあります。一番すごいのは竹藪の中で
すべって転んで片足が落ち股裂き状態になり、白衣が泥だらけになり
そのままの姿で1日歩いたこともありました
もう遍路道は嫌だなぁと思いつつも、天気が良ければいいでしょうって感じで
また歩いていました
こんな時に限って前後誰もいませんからねぇ。。まじで泣いていました
こんな楽しくもあり、悲しくもなる遍路道なんですが、へんろみち保存協力会の
方々には、とても感謝して遍路を楽しんでいます。
■へんろ道と四国のみち
へんろシールとかハガキ大の白地に赤い文字で書いてある看板は、気にしている
人はわかるが、気にしていないと見過ごす時もあります。
しかし、四国の道と言う表示はでっかい丸太であったり、石碑であったりもします
へんろシールはいかにも人海戦術で貼りましたって感じがしますし、四国のみち
などは公共の力を使って、いかにも作りましたって感じがします。
どちらにしても、遍路を続ける上で有益な情報を得ているわけですから、
ありがたいと感謝しています。
しかし、公共性を持った様な感じで、でっかい物を建てているのなら
正確にやってほしいなと思うこともありました。
案内板を道路の反対側に建てるので、結果案内が逆になっていたり
地面に埋まっているプレートの矢印通りに歩いていくと、何も案内がなくなったりと
いったいお金をかけて何しているのだろうと思うこともあります
もう山の中にこんなにたくさんの案内柱を建てなくてもいいのにと思うことも
あれば、このあたりに建ててもらうと迷わないけどなぁと思うこともあります
迷うことも遍路であると言われればそれまでなんですが、、、、
それにしても間違った情報だけは早く撤去するか修正してほしいと思いますね
■へんろ道マーク
都市部は非常にわかりにくいと感じますが、それ意外では遍路マークに沿って
歩いていけば迷わないと思います。
へんろ道マークと言うか印は一体何種類あるのかなぁと思うほど色々とあります
不安を感じつつも歩いていて、このマークを見つけると安心します
まず基本色は赤白になっていますが、丸いシールで赤い枠が付いていて
中には杖を持った人の絵柄があります。つまり、このシールのある方向に
歩いていけばいいということです。
そして赤丸枠で赤い矢印だけという場所もあります。両方貼ってある場所も
ありましたしね。
この貼ってある場所もなかなか渋いのですが、ガードレール・カーブミラー・
電信柱等でしょうか。更にすごいと思うのはカーブミラーの鏡の裏付近とか
電信柱を支えている斜めに張ったワイヤーにかぶせてある黄色と黒のカバー
などです。
緑色のシールもありましすし、ガードレールや壁に直接「こちらです」って感じで
矢印や行きたい場所を直接書いてあるものもあります。
はがき大の大きさで書かれた立て看板も多く見かけます。
山の中の様な遍路道の場合では、遍路道と書かれた鉄板や布きれ、
空海ウォークと書かれた布なども遍路道だと思い、ずいぶんとお世話になれます
マークと言うのには変かもしれませんが、四国の道と書かれた石碑や木の案内板
路上に埋まったプレートなどもあります。
これらのマークを注意深く見つけて歩いていけば、ほとんど地図を見ることもなく
歩けることでしょう。どちらに進むのかなぁと悩むことは全体を通しても数度と
言った感じくらいです
こんな話も伺ったことがありますが、このマークをたくさん付けることはどうかと
言う話です。地元の方に聞くこともなく、地図を見ることもなく全部歩けて
しまうのはどうかと言うことなんでしょう
まぁ、初めて歩く場合は、このマークに助けられると感じます
迷わず歩けたことも思い出、迷っても思い出、何をしてもいい体験になります
■道の選択
どちらの道を歩くのかと選択するのも自分の遍路なんです
私も変な質問をしたなぁと思ったことがありますが、「この道とこの道では、
どちらがいいですか?」と他の遍路さんに聞いたのです。
すると「あなたの遍路でしょう。あなたが決めることです」と言われました。
そうか、どちらが距離は短いですかとか、歩きやすいですかと聞けばよかった
んだなぁと思いました。
「いい」とは何をさしているのか人によって違いますからねぇ
同じ場所に行くのでも、遍路道と遍路道、遍路道と国道、峠越えとトンネルなどと
多くの選択があります。
ある遍路さんに、この遍路道はよかったぁと奨められることもあるし、
遍路道は迷子になりやすいので、わかりやすい車道ばかりを進んだ方が
よかったと言われる方もいらっしゃいます。
時間やペース配分を考えて、好きな様に歩かれるのが一番いいことだと思います
雨が降ったり、時間が迫ってきた場合は、なるべく国道などの道を選択し
朝の元気があるうちは遍路道でも峠越えでも積極的に歩きました。
今は道を選択できるほど多くのルートがあるということは幸せなことなのかも
しれませんね
台風が来ているときに山岳寺に行ったと言う話も聞きますが、怪我したり
誰かの世話になったりしては迷惑なだけかと思います。
あの山道って、道が川みたいになって大変ですよねぇと思う反面
無謀と修行は別だと思ったりもしますが・・・
■情景
古い町並みに、生活臭漂いすぎって思うほどの路地道、人の家の敷地では
ないのかなぁと思える様な場所、みかん畑の中やお墓の中と、遍路道は
風光明媚な野山を歩くばかりではないと感じます。
時間が逆戻りしているかのような錯覚を受ける場所にも誘ってくれます。
路地道ではお婆さんが手押し車に腰掛けて、「遍路さん朝早くから大変だねぇ」と
声をかけられたり、小学生の団体に「おはようございます」と挨拶の連打を
浴びせられたり、中学生、高校生あたりになると挨拶しても返ってくる確率は
半分以下に落ちたりと・・
目に入ってくる情景と耳に入ってくる情景が重なることによってステレオ効果
みたいに脳裏に焼き付きます。
静かな朝の町を歩くと、新聞配達や牛乳配達のお父さんお母さんにも出会え
それを取りに家からパジャマ姿のままで出てくるお父さんにも出会え
うぅぅぅ・・こんな光景や情景って昔あったよなぁって思い出させてくれます。
柑橘が青から黄色に変わる季節感、猫や犬が我が物顔で道路に寝そべっている
光景。。朝一番にクモの巣を眺めながら、その中を突き進む感覚
自分が見ようとしなかったことを感じさせる瞬間が多くあると思います。
これは、とても写真などではお伝えできないことですね。だから、遍路はやった
者にしか伝わらないってことも多いのかなと思います。
とてもではありませんが、旅行と名が付けばこんな情景は感じられないとも
思います
■遍路道は遍路しか歩かない
地元の方が散歩道として利用したり、ハイキング愛好家などが歩くことも
あると思います。でも、ほとんどは遍路さんが歩く道だとの認識が強いと思います
つまり、ゴミが落ちていたりすると、遍路が捨てていったと思われても仕方が
ないことだと思います。
空き缶、空ペットボトル、パンの袋やお菓子の箱、吸い殻などでしょうか
車が入れる様な場所なら片づけやすいのですが、山道の様な遍路道では
人力に頼るしかないのです。
2:8の原則ではありませんが、10人の人が山に入ると2人の人がゴミを残して
行きます。この2人がゴミを捨てていくことによって、10人の人が嫌な気持ちに
なって、また、2人の人がゴミを見て、ここならいいのかと更にゴミを捨てていく
のかと思います。
なら、最初の8人の中から2人の人がゴミを拾って歩けば、ゴミはなくなります。
ゴミを山道から降ろす、ゴミ箱まで運ぶだけで問題はかなり改善されると
思います。
なんでもかんでもゴミを拾ってくることもありません。今は分別回収は当たり前の
ことです。この道では空き缶だけを拾って歩こうと決めるだけでいいのです
そして自販機を見つけたら、そこにいれるだけで済むのです
遍路道を汚すのも遍路なら、綺麗にしていくことも遍路の責任かと思います
こんな話も聞きましたが、「私は携帯灰皿を持って歩いています」
たしかに喫煙マナーとしてはいいと思います。でも更に一歩踏み込んで
灰皿のある場所でしか吸わないと考えてもらえばいいのではとも思いました
一人の遍路がみんなに迷惑をかけることもできるし、一人の遍路が
遍路のイメージをよくすることもできます。
私もそんな一人であると思います。
■遍路道の先
未来として考えていくと明るくも考えられるし、暗くも考えられると思いました
でも、現状のまま何年も続くとは到底思えません
道はどんどんと直線的になりますし、地域住民の方が望むことは
やはり便利で、移動時間が短縮されることかと思います。
昔、作られた舗装路は山間に沿ったり、海岸線に沿ったりして作られていました
それをトンネルは造る、橋などを設けても真っ直ぐな大きな道を造っています
新しい道を歩いていると、古い曲がりくねった道などが横を走っているのを
見かけられます。
新しい道ができることによって、昔ながらの遍路道は分断され
新しい道に沿って、左に入っていったり、右に入っていったりと、結局同じ道に
戻るのだが、寄り道をしてばかりいるって感じになります。
そして、地元の方は「この道を真っ直ぐ行った方がいいよ」「近いよ」などと
教えてくれます。本当にその通りだと思います。
山間部を歩く遍路道でも、草刈り、枝切りなど手入れをしないと歩けなくなる
道も多いと思います。道はあるのですが、入り口がわからなくなっていたり
道が寸断されていれば歩けなくなるのです。
多くのボランティアの方や地元の方の奉仕なくして遍路道は維持できないのでは
と思います。
案内板等で昭和何十年頃は生活道路としても利用され、当時は多くの方々が
行き来していました等の書き込みがありましたが、今ではひっそりとしたものです
歩き遍路が近年多くなったとは言え、道を踏み固め、道を維持するまでには
なかなかできることではないでしょうと思います。
遍路道を歩ける自分は幸せである。恵まれていると感謝しつつも
出会った人々には明るく声をかけて、通らせていただきます。ありがとうござい
ますと思う気持ちが大切なのかなと思いました。
ひとりひとりが歩けることに感謝の気持ちを持ちつつ、歩き続ければ
道としての形は多少変わっても「歩ける」ことには変わりないと思いました
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