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【名古屋市南区笠寺町上新町83】【052-821-1367】 |
天林山 笠覆寺【りゅうふくじ】 【笠寺観音】【小松寺】 |
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【真言宗智山派】【本尊/十一面観世音菩薩】 | |
【名古屋大師16番】【尾張四国1番】【名古屋四国43番】 【尾張観音3番】【東海百観音3番】【尾張四観音】【尾張五色観音】 【東海圏西国24番】【尾張西国15番】【東海不動15番】 【なごや七福神/恵比寿】【大名古屋十二支巳】 |
【 本 堂 】 | |
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【 山 門 】 | |
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【 薬師堂 】 | |
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【 地蔵堂 】 本尊延命地蔵尊 | |
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【 六地蔵堂 】 | |
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【 善光寺堂 】 | |
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【 多宝塔 】 | |
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【 手 水 】 | |
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【 風 景 】 | |
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![]() ▲「東海三十六不動尊第十五番」 |
![]() ▲「なごや七福神恵比寿」 |
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【 御詠歌 】 | |
【自らは 濡れつつ吾に おほいする あまのはやしに笠はくちせじ】 |
【 略 図 】 | |
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【 駐車場 】 | |
寺駐車場 西側から入る |
【 おぼえがき 】 | |
【天平五年(733)奈良】 公式サイト【http://kasadera.jp/】 【天林山小松寺→笠覆寺/応永二五年】 【国指定/紙本墨書妙法蓮華経】【県指定/銅像十一面観世音菩薩/六稜式厨子/古壅/室町】【県指定/木造十一面観音菩薩立像/平安】【県指定/梵鐘/鎌倉】【県指定/笠覆寺文書/鎌倉】 【大須宝生院末寺】【一山十二坊/大坊/西善坊/得寿坊/東林坊/東光坊/多門坊/桜本坊/泉蔵坊/窪之坊/持宝院/永仙坊/日光坊/吉祥院】【名古屋十名所】【宮本武蔵碑】【観音塚/粕畠町3/元観音/笠覆寺発祥地/享保元年/加藤又兵衛勝貞寄進地】 【南区笠寺町字上新町83】【愛知郡笠寺村】【笠寺】 【笠寺町/かさでらちょう】 |
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■開基 呼続の浜辺に流れ着いた霊木が夜な夜な不思議な光を放ち、人々は それを見て恐れをなした。近くに住んでいた僧・善光上人は夢のお告げ を受け、その霊木を彫って十一面観世音菩薩の像を作った 上人は寺を建て、そこに観音像をおさめ、その名を「天林山小松寺」と 名付けた。天平八年(736)のことである。 ■玉照姫と観音様 その後、約二百年の歳月が流れ、小松寺は荒廃、お堂は崩壊し、 観音様は風雨にさらされるようになってしまった ここに一人の美しい娘がいた。彼女は鳴海長者・太郎成高の家に 仕えており、その器量を妬まれてか、雨の日も風の日も ひどくこき使われる日々を送っていた。ある雨の日、ずぶ濡れになって いた観音様の姿を見た彼女は、気の毒に感じ、自分がかぶっていた 笠をはずして、その観音様にかぶせたのであった。 その縁か後日、関白・藤原基経公の息子、中将・藤原兼平公が下向の おり、長者の家に泊まった際にその娘をみそめ、自分の妻として迎え ようと決心した。 兼平公の妻となった娘は、それから「玉照姫」と呼ばれることとなった。 この観音様の縁によって結ばれた玉照姫・兼平公ご夫妻は、延長八年 (930)、この地に大いなる寺を建て、姫が笠をかぶせた観音様を安置 した。このとき寺号も小松寺から「笠覆寺」に改めた。 これが「笠寺観音」「笠寺」の名の由来である −案内板より |